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第三話 如月玲一郎

ผู้เขียน: 月歌
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-07-04 15:39:24

喫茶店の扉が開いたとき、ひかりはすでにその気配を感じていた。

「……来た」

小さく息を整えたところで、懐かしくなりつつある、あの軍服姿が現れた。

「おはようございます」

「おはようございます。如月さん」

「今日は、結論を伺いにきました」

彼はまっすぐにひかりを見た。曇りのない目。その瞳を見つめ返しながら、ひかりは小さく頷いた。

「……覚悟は、できました」

その答えに、如月は静かに息をつき、黒革の書類フォルダーを差し出した。

「では、契約を交わしましょう。私とあなたの、二人だけの約束です」

紙に書かれていたのは、伯爵家に提出するような正式な書類ではなかった。あくまで、如月怜一郎と有坂ひかり、二人のあいだだけの「私的な契約」だった。

形式上の婚姻関係を結ぶこと。互いの自由を尊重すること。そして、伯爵家の当主――怜一郎の祖父には、本当の結婚だと信じてもらうこと。

内容を静かに読み終えると、ひかりは黙ってサインをした。怜一郎も同じく、ぴたりとした筆跡で署名する。

インクが乾くまでの間、彼はわずかに口元を緩めた。

「これで、あなたを真木伯爵家へお連れできます」

「……え? い、今から?」

「ええ。早いほうが良いと思いまして。ちょうど伯爵様も邸にいらっしゃいますので」

「ちょっと待ってください! こんな格好じゃ……」

ひかりは慌てて、自分のエプロンの裾を握りしめた。喫茶店で働いていたままの姿だった。

「大丈夫です。あなたの衣装は、すでにご用意しています」

「……え?」

目を丸くするひかりに、怜一郎は当然のように頷いた。

「契約されると、信じていましたから」

「……何でもお見通しなのね」

「そんなことはありません。さあ、行きましょうか」

二人は並んで店を出た。

けれど、店の前に停められていた黒塗りの車を見た瞬間、ひかりの足がぴたりと止まった。視線が、その光沢に吸い寄せられる。

――両親をひいたのは、こんな黒い車だった。

父と母が、黄昏の道で車にひき逃げされてから、もう数年が経っていた。それでも、あの日の記憶は今も色褪せず、ひかりの中に残っていた。

その小さな硬直に気づいたのは、怜一郎だった。

「……失礼。馬車に変更しましょうか」

その言葉に、ひかりははっと顔を上げる。

「大丈夫です。……大丈夫ですから。行きましょう」

頷きながら、車に向かう足取りはわずかに強張っていた。

後部座席に並んで座ると、ひかりの手が小さく震えているのを、怜一郎はそっと見ていた。そして、何も言わず彼女の手に自分の手を重ねる。

その温度に、ひかりは驚きながらも、指をほんの少しだけ絡めた。

――不思議だ。たったそれだけで、怖さが、少し遠のく。

玲一郎が運転手に軽くうなずくと、車は静かに走り出した。

着いたのは、街の一角にある格式高い仕立て屋だった。奥の部屋に通されると、すでに整えられた衣装がいくつも並べられていた。

深紅のドレス、淡い桃色のワンピース、紺色のレースのアンサンブル――いずれも素材も仕立ても、明らかに一流のものだった。

「えっ、こんなに……? 全部、私の……?」

「ええ。場面に応じて必要かと思いまして」

「……でも、サイズが全部ぴったり。どうして?」

問われた怜一郎は、少しだけ口ごもったあと、視線を逸らして言った。

「軍人ですので。相手の体格は、見れば大体……」

「胸のサイズまで?」

「えっ!?……いえ、その……誤解です」

「冗談です」

くすっと笑うひかりに、怜一郎は苦笑しつつも、どこか安心したように頷いた。

「喜んでもらえて嬉しいです」

「……ありがとう。どれも、すごく素敵」

店員に促されて、ひかりは着替えに向かった。

数分後、支度を終えて戻ってきた彼女は、柔らかなミルクティ色のワンピースに身を包み、胸元には繊細なレースが施されていた。髪も軽く結い上げられ、いつもの喫茶店の娘とはまるで別人のようだった。

怜一郎の目が、ふっと見開かれる。

「……えっ」

「えっ?」

「いえ、その……思っていたより、いや……驚くほど、お綺麗です」

しどろもどろになりながらも、懸命に言葉を探す怜一郎の姿に、ひかりは思わず頬を染めながら、ふわりと微笑んだ。

「ありがとうございます。そう言われると、少しだけ、自信が持てます」

外に出ると、車が静かに待っていた。

再び後部座席に乗り込むと、怜一郎は扉を閉めて、ひかりの隣に腰を下ろす。ふと見ると、彼の目は柔らかくひかりを見つめていた。

――この人と一緒なら、きっと今日も、悪くない。

車が滑るように発進し、真木伯爵家へと向かう午後の光の中、ひかりはそっと窓の外に目をやった。

街路樹が風に揺れ、陽光がちらちらとガラス越しに差し込んでいた。

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